韓国ドラマ『応答せよシリーズ』がもっと楽しくなる!豆知識集(80年代編)

韓国豆知識

アンニョンハセヨ!寝ても醒めても韓国大好き!sakiです。

『応答せよシリーズ』は韓国のケーブルドラマで、当時放映する度に最高視聴率を記録したtvNのドラマです。このドラマの出演をきっかけにブレイクした俳優も多数。韓国ドラマが好きな方は、見たことある方も多いのではないでしょうか。

再度視聴する方、勿論これから視聴する方にも、もっと楽しく見ていただけるように、当時についての豆知識をご用意しました。第3弾の今回は80年代文化編です!特に『恋のスケッチ~応答せよ1988~』を視聴する時の参考になればと思います!

80年代、経済成長真っ只中の韓国

1960年代から1990年代にかけて、韓国は経済において大変目覚ましい発展を遂げました。これを『漢川の奇跡』と言います。1988年には1964年の東京オリンピックに続き、アジアで2度目となるソウルオリンピックが開催されました。当時はソウルオリンピックのことを、開催年にちなんで88パルパルオリンピック』と呼ばれていたそうです。

『恋のスケッチ~応答せよ1988~』でも、時代が変わる瞬間を垣間見ることが出来ます。

夜間外出禁止令の解除

始まりは1945年9月7日。アメリカ軍により、ソウル市と仁川地域に夜間外出禁止令が発令されました。1960年代から少しずつ発令解除の地域が増え、最終的に全面解除されたのは1988年1月1日。『恋のスケッチ~応答せよ1988~』でも、夜間外出禁止令に触れたシーンが出てきますが、その頃は23時から4時までの時間が禁止時間でした。その為、23時~24時の間、交通機関は大変混雑していたそうです。タクシーの争奪戦まであったとか。24時になるとサイレンが鳴り響いていたそうです。

Youtubeに夜間外出禁止令についてまとめた動画がありました。映像だけでも、当時の雰囲気が掴めるかと思います。

ミニスカート禁止法

現在のK-POPアイドルを見ると到底信じられませんが、実はその昔、ミニスカートを履くと刑法罪処罰法違反になってしまうという法律があったことをご存知ですか?

女性が足をさらけ出すこと自体がタブーとされていた当時の韓国。とある歌手がミニスカートを履いたところ、韓国国内で衝撃を受けた女性が多数。たちまちブームになったのが発端です。

基準はひざ上20cm。警察が町を定規を持って巡回していたそうです。1973年2月にこの条項が出来ましたが、1988年12月31日、削除されました。ドクソンはひざ上20cmよりは長そうだったので、処罰の対象にはならなそう。良かったね!ドクソン!

定規もって巡回してたなんて、学校みたい…

同姓同本不婚の廃止

『恋のスケッチ~応答せよ1988~』では、ドクソンの姉ボラと、ドクソンの幼馴染ソヌが晴れて恋人同士になりますが、名字が同じな為、結婚するまで大変だったシーンがありますね。

ドラマでも触れていますが、韓国では『同姓同本不婚』と言って、同じ名字(同姓)、同じ出身地(同本)の者同士の結婚を禁じていました。理由は、近い血族同士の為です。

日本でも同じ理由で、三親等内の親族とは結婚出来ませんよね。

韓国ではこの制度の為に、さまざまな問題が起きていました。そこで、1978年、1988年、1996年のそれぞれ1年間を3回、婚姻に関する特例法を実施し、同姓同本で事実婚夫婦が婚姻届を出せるようにしました。その後1997年に憲法裁判所がこの制度の憲法不合致の決定を下し、ついに1999年より、同姓同本不婚の適用が中止され、2005年3月31日に廃止されました。

最後に

今回は80年代の出来事を中心に、豆知識をお伝えしました。『恋のスケッチ~応答せよ1988~』を見ると、随分韓国は昔から変わったんだなあ~と思います。同世代の主人の話を聞くだけでも、ジェネレーションギャップを感じることがたま~にあります。本当に急成長した国ですよね。韓国のスピーディーさを、日本にも分けていただきたい(笑)タクシーは早くない方が助かるけど。当時の背景が分かると、『恋のスケッチ~応答せよ1988~』も更に楽しくなると思います。是非お役立てください!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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